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石神井公園

 石神井公園は、三宝寺池と石神井池の二つの池を中心に構成されており、豊かな自然と、石神井城跡などの史跡や武蔵野の おもかげが多く残されている公園です。
三宝寺池周辺は、国の天然記念物である沼沢植物群落をはじめとし、豊かな自然に包まれ、静かで落ち着いた雰囲気に満ちています。 一方、石神井池ではボートに乗ることができ、三宝池周辺とは対照的に明るく開放的な景観が広がっています。
その他園内では、花見や紅葉、貴重な植物、野鳥など折々に四季の景観を楽しむことができます。

姿旧内田家住宅/h3>

 かっての練馬区域は、茅葺き屋根の農家が点在する、江戸、東京の近郊農村でした。 旧内田家住宅は、明治20年代初めに練馬区中村に建てられた民家です。部材の一部には、江戸時代の古材も使われています。 平成19(2007)に建物をいったん部材ごとに解体し、必要な調査を行った後、練馬区立石神井公園ふるさと文化館の屋外展示施設として、 平成22(2010)年に区立池淵史跡公園へ移築復元しました。

氷川神社

 室町時代に豊嶋氏が石神井城築城の際に城内に創建された。太田道灌により、攻められ同城が落城の後は、石神井の総鎮守として 崇敬を集めている。豊嶋氏孫の奉納した石灯籠(元禄年間)等がある。二千余坪の境内には武蔵野の面影が感じられる。

天祖若宮八幡宮

 若宮八幡宮は、奈良時代に武蔵関塞が設けられたとき、関塞守護神として奉斎されたと伝えられている。 関塞廃止後、長い年月を経て慶弔年間に関村(現在の関町北、関町南、関町東、立野町に相当)開村のおり村民の氏神となった。 天祖神社は「新編武蔵風土記稿」関村の条に「三十番神社、村の鎮守ナリ本立寺持」と記されており、もとは「番神様」と呼ばれていたが、 明治維新の神仏分離により、天祖神社と改称された。1974(昭和49年)若宮八幡宮と天祖神社を合わせて天祖若宮八幡宮と呼ぶようになった。

武蔵関公園

 公園には富士見池があり、石神井公園、井の頭恩賜公園、善福寺公園の池と同じく、武蔵野台地の湧き水などによってできている。 同公園及び富士見池は南北に細長い形をしている。公園に占める池の面積が大きく池の周りには広場、緑地などのスペースが限られている。 公園の北西エリアにはボート乗り場、公園遊具・広場がある。公園の周りには広い遊歩道などはなく、民家が近接している。 ボートにも乗れて桜の名所としても知られ、春になると花見客で賑わう。野鳥が多く生息し、カワセミも飛来することがある。

     【一部引用:都立公園協会パンフレット、ウキペディア(フリー百科事典)他】

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